教室紹介

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初代教授高橋 喜久夫[在任期間:昭和29年11月-昭和40年7月]
昭和29年11月、講座の開設に伴い九州大学第二外科の高橋喜久夫助教授が初代教授として赴任し、外科学第二講座が誕生した。当初の講座構成員は高橋教授とともに九州大学から赴任した滝原哲一助教授、榎本 亨講師、藤原 等助手の4名であった。
12月11日に第一回手術として胸郭成形術が行われ、翌昭和30年1月11日から外来診療が開始された。そして、同年春には9名の医学部卒業生が第1期生として教室メンバーに加わった。胸部外科手術は高橋教授が担当し、一般外科は主として助教授・講師が指導していた。当時大学には麻酔科はなく、教室員が交替で麻酔を担当した。手術室にエアコンなどはなく、真夏の手術は大きな氷柱を立て、後ろから扇風機で冷風を送る中で行われた。高橋教授は日本における肺外科の草分け的存在であり、当時の手術は結核に対するものが大半であった。
当時の研究室は兵舎を改築して作られたものだった。研究は肺外科学、肺生理学、心臓血管学などの分野から始められた。高橋教授の主な研究テーマは、胸部自律神経機能に関するものであり、胸部自律神経遮断による胸腔内の吸収能、術後肺の病態、気管支断端の治癒機転への影響などについて検討された。肺生理については、肺動脈一時遮断による生理的変化、肺切除後の肺コンプライアンスの変化と肺循環の関連、肺切除後の遺残腔の縮小機転および胸腔内圧の変化などが検討された。また、心臓血管学については、体外循環が主なテーマであり、人工心肺灌流中の灌流量と動静脈圧・死因との関係、体外循環の際の肝循環異常と血液ガス代謝、肝循環異常と糖質・蛋白中間代謝、肝循環と循環状態などについての基礎的研究などが行われた。
高橋教授着任後10年間で外科学第二講座の診療・研究体制の基盤が完成していき、その後、高橋教授は昭和40年に開催予定の第18回日本胸部外科学会会長に選任された。しかし、高橋教授は不幸にして病に倒れ、志半ばにて逝去された。会長不在の中、矢毛石陽三助教授以下教室員一同が一丸となって準備を行い、外科学第一講座の田北周平教授が会長代行を務め、学会は盛会裏に終えることができた。

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第2代教授井上 權治[在任期間:昭和41年2月-昭和59年3月]
昭和41年2月に、愛知県がんセンター病院の井上權治第2部部長が第2代教授として着任した。井上教授も高橋初代教授と同じく九州大学出身であった。この頃は全国の大学医学部に青医連運動が胎動し始めた時期であり、昭和42年、43年には学園紛争が頂点に達した。本学でも入局ボイコットや無給医局員ストなどの異常事態が起こり、昭和44年度の新入局員は皆無であった。しかし、この紛争を通じて教室の体制についても議論が行われ、教室運営を民主的、効率的に進めようという動きが進んだ。結果的に研究活動もより活発となり、肺癌、呼吸生理、乳腺、心臓血管系、小児外科、脳外科などの部門が着々と研究・診療の成果を上げていった。
井上教授時代の研究成果は、眉山-井上権治教授退官記念特別号にある「研究の樹」によく表れている。研究グループを肺癌、呼吸生理、乳腺、心・血管、その他の5つに分け、それぞれの研究が枝分かれして発展した様子が研究者名とともに「樹木」のイラストとして描かれている。
肺癌グループは、高橋外科時代からの研究に加え、肺腫瘍の血行性・リンパ行性転移に関する研究、実験移植肺腫瘍切除成績から検討した早期肺癌の定義に関する研究といった独創的な研究が生まれ、臨床肺癌においては、胸壁合併切除、縮小手術、クロム肺癌などが研究テーマとなった。呼吸生理グループは、原田邦彦助教授を中心に、無気肺、胸壁障害、胸腔内生理などの研究が進められ、一側肺全摘術後の胸腔内にSF6ガスを注入する研究は、臨床でも多くの症例に実施されるに至った。乳癌グループは、岡崎邦泰講師を中心に、集団検診、病理組織学的局所進展、ホルモン依存性などの研究が行われ、その業績が評価され、厚生省班研究にも常時参加していた。また、全国に先駆けて乳癌検診事業を開始し、乳がん検診を無報酬で実施し、全県域に広げて研究に貢献したことが評価され、昭和54年9月に日本対がん協会賞(団体)受賞に至った。心臓・血管グループは、加藤逸夫講師を中心とした心筋保護液に関する研究や、リンパ浮腫に関する研究が行われた。また、小松島赤十字病院(現徳島赤十字病院)においては、片岡善彦医師らが虚血性心疾患外科の領域に力を入れ、冠動脈バイパス術では本邦でも有数の施設として認識されるに至った。その他には、矢毛石陽三助教授による門脈圧亢進症の研究や、斎藤勝彦講師、露口勝講師による大腸癌、甲状腺癌領域の臨床および研究が進み、対外的な発表の成果もあって非常に多くの患者が紹介されるようになった。
井上教授は昭和47年に医学部附属病院長に就任した。また、昭和49年に第20回日本乳癌研究会を主催し、昭和53年8月には第19回日本肺癌学会を主催した。

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第3代教授門田 康正[在任期間:昭和60年1月-平成16年3月]
昭和60年1月に、大阪大学第一外科の門田康正助教授が第3代教授として着任した。門田教授の専門は呼吸器外科・胸腺外科であり、赴任後は悪性腫瘍と臓器移植を2大テーマに捉えて呼吸器領域の研究が進められた。
胸膜マクロファージの研究は、腫瘍に関連したリンパ球、サイトカインの研究へと繋がり、門田教授の専門である重症筋無力症の研究にも発展した。胸腺上皮性腫瘍に関する研究は、p53遺伝子の解析、腫瘍浸潤とマトリックスメタロプロテアーゼ発現の研究が行われた。肺癌グループは、クロム肺癌におけるp53遺伝子異常や遺伝子不安定性に着目した研究を行い、三好孝典大学院生が作成した肺癌細胞株の同所性移植マウスモデルは、後の多くの肺癌研究の成果を生み出した。
宇山正助教授を中心とした肺移植グループは、ラット肺移植モデルを用いた急性および慢性拒絶のメカニズムや樹状細胞置換に関する研究を行い、宇山助教授の後を継いだ先山正二助手は、トロント大学留学後に胎児肺移植による研究を発展させ、研究の方向性を再生医療へも拡げた。
梅本 淳講師を中心とした消化器グループは消化器癌発生と発癌物質に関わる研究などで成果を上げた。梅本講師は、抗エストロゲン剤によるDNA付加体形成についての研究でも多くの論文を発表した。
森本忠興助教授、駒木幹正講師らの乳腺グループの代表的な研究テーマは、乳癌診断におけるインピーダンス解析システムの開発、乳癌の病理学的分類別の予後解析、日本人の浸潤性乳管癌とp53遺伝子異常パターンの解析などであった。
門田教授は平成12年5月に日本呼吸器外科学会を主催し、この際に行った胸腺上皮性腫瘍の全国アンケート調査では115施設から1,320例のデータを集積した。近藤和也講師が中心となって解析を進め、正岡臨床病期、手術における完全切除、リンパ節転移と予後の関連などを明らかにし論文化した。これらのデータはこの領域における本邦発のエビデンスとして、現在でも多くの論文に引用され続けている。
門田外科時代の教室の大きな動きとしては、昭和61年4月に心臓・血管部門のチーフであった加藤逸夫講師が附属病院に新設された心臓血管外科診療科の教授に就任し、循環器グループが独立した。また、平成2年には森本忠興助教授が本学医療技術短期大学部教授に就任した。森本教授は日本乳がん検診精度管理中央機構初代理事長として日本の乳がん検診の普及と精度管理に大きく貢献し、日本乳癌検診学会の理事長も務めた。平成12年には北川哲也助教授が心臓血管外科学分野の第2代教授に就任した。
平成14年に組織改編に伴い、教室名は病態制御外科学講座に変更された。

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第4代教授丹黒 章[在任期間:平成16年12月-令和3年3月]
平成16年12月に、山口大学第二外科の丹黑 章助教授が第4代教授として着任した。丹黑教授は本学医学部の卒業生である。丹黑教授着任の年に新臨床研修制度がスタートし、以降、徳島大学卒業後に徳島県および徳島大学に残る学生が激減するようになった。さらに同年に実施された大学の法人化以降、年々減額される運営費交付金を補うための競争資金獲得を巡る大学間競争が激化した。地方大学の教室運営や関連病院への人材派遣には多大な困難を伴うようになったが、丹黑教授は持ち前のバイタリティと温かい人柄で多くの人材を育成し、関連病院の人事にも細やかな配慮をしながら教室を発展させていった。
丹黒教授は食道癌と乳癌を専門とし、山口大学時代に経験した多くの症例経験に基づく正確な診断力と洗練された手術手技を教室員に伝授した。丹黑教授が着任した2000年代は外科の各領域において内視鏡手術の技術が進歩し、そのシェアが拡大した時代であった。丹黑教授は教室の各領域にセンチネルナビゲーション手術の手法を導入し、低侵襲手術の普及にも尽力した。食道手術では山口大学時代に開発したリンパ節郭清を伴う縦隔鏡下食道切除術を徳島大学にも導入し、開胸困難症例やPSの低下した高齢者にも実施可能な術式として実績を積み重ねた。同術式は気縦隔法を用いた手技として発展的に改良され、平成30年に保険収載されるに至っている。三好孝典助手が考案した、小型肺病の部位同定におけるCTガイド気管支鏡コイルマーキング法は、その後長年に渡って改良が重ねられ、当教室オリジナルとして注目される手技となった。
食道、乳腺甲状腺、呼吸器グループそれぞれにおける新たな研究が発展した。食道領域では吉田卓弘講師を中心に、術前化学療法の効果と予後予測因子、化学療法施行時の支持療法と栄養管理、CTリンパ管造影による画像診断などの研究が行われた。乳腺甲状腺領域では、CTリンパ管造影の解析が進み、また新たな抗癌剤治療の開発に関する研究が行われた。呼吸器領域は、近藤和也教授、滝沢宏光講師を中心とした肺癌・胸腺腫瘍研究グループが、クロム肺癌におけるDNA修復遺伝子のメチル化に関する研究、肺癌細胞株の同所性移植マウスモデルを用いた抗癌剤感受性に関する研究や光感受性物質を用いたリンパ節転移や胸膜悪性腫瘍の診断に関する研究などを行い、先山正二助教授、鳥羽博明助教を中心とした肺再生グループが、ラット胎児肺移植モデルおよびiPS細胞を用いた再生研究、虚血再灌流障害に伴う内因性一酸化炭素の産生に関する研究などを行った。
丹黑教授は平成29年に第42回日本外科系連合学会学術集会、令和2年に第74回日本食道学会学術集会を徳島で主催し、令和元年・同2年の第72回・第73回日本胸部外科学会定期学術集会ではプログラム委員長・分野会長を務めた。平成29年より丹黑教授は医学部長に選任され、本学の医学教育の発展にも貢献した。また、丹黑教授はピンクリボン運動の啓発事業にも精力的に取り組んだ。
丹黑外科時代の教室の大きな動きとしては、組織改編により、平成20年に教室名は胸部・内分泌・腫瘍外科学分野に変更された。平成19年4月に近藤和也講師は森本忠興教授の後任として、成人・高齢者看護講座(後に臨床腫瘍医療学分野)の教授に就任した。
平成17年に臓器病態外科学講座(現、消化器・移植外科学)、病態制御外科学講座(現、胸部・内分泌・腫瘍外科学)、循環機能制御外科学講座(現、心臓血管外科学)の3講座が従来の医局の枠を越え、初代露口 勝会長のもと徳島大学外科同門会を発足させた。以降、毎年5月に同門会総会を開催し、若手外科医のための教育セミナーや特別講演を行うとともに、3講座の業績等を纏めた徳島大学外科同門会誌を発行している。これに伴い、平成25年に徳島大学医学部第二外科同門会は発展的に解散することとなったが、同窓会的な性格である徳島大学医学部第二外科開講記念会へと形を変え、開講記念日(11月30日)前後に集会を行い、会誌「眉山」も定期発刊することで、旧第二外科同門会の親睦の場となっている。

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第5代教授滝沢 宏光[在任期間:令和3年8月-現在]
令和3年8月からは、教室出身の滝沢宏光准教授が第5代教授として着任し、丹黑外科時代の臨床・研究を引き継いだ。現在教室では、徳島大学病院の呼吸器外科、食道・乳腺甲状腺外科を担当している。





















